科学文芸雑誌『ミクロスコピア』のこと
先日の一箱古本市に持参し、悩んだ挙句後半に少し出した雑誌『ミクロスコピア』。
比較的珍しい雑誌だったこともあってか、いくらかの人に興味を持っていただけた。
せっかくなので、自分の中での整理も含めてこの雑誌についてご紹介したい。
科学文芸雑誌『ミクロスコピア』は1984年に発刊された。
創刊の指揮をとったのは解剖学者で新潟大学名誉教授の故・藤田恒夫先生、発売は新潟市の考古堂書店だ。
2009年に終了するまでの26年間にわたり、斬新な企画や貴重な執筆陣が紙面を彩り続けた。
記事の内容は多岐にわたる。
エッセイ、自身の研究報告、旅行記、アフリカの動物の紹介、著名人へのインタビュー、、、
医学博士の先生方によるものが多いが、外国語講師や研究所職員など、26年の間に様々な人が記事を寄せている。その内容も千差万別だ。
例として、今手元にある1994年の「vol.11 no.3」号の見出しを見てみよう(一部抜粋)。
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ファーブルの世界を見つめて
神経伝達物質の研究10 視床下部ペプタイドホルモンの発見
最愛の実験動物 ヒドラ
寿命と黄金分割比
私の世界百名山 アネート峰◇スペイン
グルメ百話 マイタケは舞い茸
不思議の島 ガラパゴス
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以上は同紙の記事のごく一部なのだが、どれだけバラエティに富んでいるかが分かる。
「ファーブルの世界を見つめて」は筋肉の研究で有名な故・丸山工作先生によるもの。
執筆陣同士のQ&Aコーナーでは養老孟司先生が回答されていたり、
他の号ではお若いころの荒俣宏先生へのインタビューもあったり…と、油断ができない。
表紙には毎回顕微鏡写真が使われている。
まるで印象派の絵画のような、鮮やかな色彩の写真が多い。ぱっと見では何が写っているのかわからないのだが、それが生き物の細胞の写真だから驚かされる。
(ちなみに、上記の「vol.11 no.3」号の表紙は「クサフグの皮ふ」だった。下の写真)
『ミクロスコピア』とはそもそも「顕微鏡の世界」を意味する言葉。光学顕微鏡や電子顕微鏡の写真がふんだんに紹介されているのも、この雑誌の特徴だ。
編集代表の藤田先生はこの意欲的な雑誌に携わり続け、興味深い生化学・医学・顕微鏡の世界を大衆に発信し続けた。2007年にはこれを理由に科学ジャーナリスト賞(主催:日本科学技術ジャーナリスト会議)を受賞している。
マニアックなテーマや多様(すぎる)記事など、今の出版事情ではこのような雑誌を出すのは難しいかもしれない(出版業界のことは知らないけど…)。
それでも、こういう挑戦的な雑誌があったことは、覚えておいてもいい、と思う。
欲を言えば、各専門家の先生が自分の研究や趣味の話を自由に楽しく書いてくれるような、こんな雑誌がまたどこかで生まれたらいいのに、とも思う。
そんなことを思いながら、私はまたページをめくる。
先日の一箱古本市では、ぜひこの雑誌の存在を知ってほしくて、数冊を”箱”に入れてみた。
とても面白いことがあったのだ。
この面白雑誌(?)に興味を持ってくれるのは、変わった本が好きそうな方々(すみません)や、おそらく大学病院などにお勤めであろう方々だった。そういう人たちが手に取ってくれるだろう、と思っていたので、予想通りである。
しかし、その選ばれし閲覧者の中に、母親ときたお子さんがいたのだ。
なぜこんな子ども(小学生くらい)がこの雑誌に興味を示すのだろう…と不思議に思っていた矢先、お母さんの言葉で謎が解けた。
「ほら、こないだ見たのこんなやつだったよね~」
…!そうか!きっと、理科の授業か何かで顕微鏡の使い方を習ったのだ。そして、その自分の経験をもとに、顕微鏡写真を表紙とするこの雑誌に気づいたのだろう。
手に取っていた『ミクロスコピア』の表紙は、イエローが美しい花粉の写真だった。
1枚の写真には年齢関係なく人をひきつけ、相手に訴えかける力がある。
特に子どもの場合は、グダグダと口で説明したり、長い文章を読ませたりするよりも、1回の顕微鏡下の世界(=ミクロスコピア)が何よりの説得力を持つ。
うまく言えないけど、その「絵」が彼の中に残渣を残し、50以上の箱が並ぶ古本市で珍しい雑誌を手に取るチャンスを与えたのだ。
お買い上げにはならなかったが(内容は、「かがくのとも」や「子供の科学」「Newton」のようにはいかない)、科学の実体験が子どもの中で残る、といういい例を見せていただいたようで、大変うれしくなった。
ありがとう少年よ。どうかそのまま、その神秘の光景を忘れないでほしい。
あわよくば、そのまま解剖学や組織学を学んで、将来新たな科学雑誌を作ってくれないだろうか…。
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