【読書感想文】寡黙なる巨人

『寡黙なる巨人』 多田富雄 (集英社新書)


どんなに著名人にも、有能な人にも、病は突然訪れる。

誰だって病気にはなりたくないと考えるし、健康でありたいと願うだろうけれど、防ぎようのない事態はある。

ただ、生物というものはしぶとい。

回避不能な事態に陥ったのち、いかに生き、ふるまうことができるか…この点にこそ、人間の底力が見えると思う。

『寡黙なる巨人』は有名なエッセイなので、ご存じの方も少なくなかろう。

著者の多田富雄は高名な免疫学者だ。

あちこちの学会に招かれ、世界を飛び回り、いくつもの重役をこなした人物である。


生物の体を守る免疫システムのプロフェッショナルを襲った病魔は、脳梗塞だった。

死の境をさまよい、かろうじて生の世界に戻った著者であったが、その後の人生は右半身麻痺・嚥下障害・言語障害を背負うことになる。


本書では、脳梗塞発症から入院の過程、検査やリハビリの様子が語られるのだが、その描写には元来の文才が生かされ、唯一無二のものになっている。

科学者らしい正確さ・緻密さと、数多の執筆に基づいた表現力があわさって、読んでいるこちらまで闘病のさなかにあるような、空恐ろしい気持ちになるようだ。


『もう大丈夫、と声をかけようとしたが、なぜか声が出なかった。なぜだろうと思う暇もなく、私は自分の右手が動かないのに気づいた。右手だけではない。右足も、右半身のすべてが麻痺している。嘘のようなことだが、それが現実だった。
訴えようとしても言葉にならない。叫ぼうとしても声が出ない。そのときの恐怖は何ものにも比較できない。』(P17)


目覚めてからは死ぬことばかり考えていたという著者であったが、少しずつ、本当にわずかに身体の機能が回復することに気づき、一つのひらめきを得る。


『もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。(中略)私が一歩を踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴んだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ。』(P45)


自身の中に”新しい何者か”が目覚める。

うまく話すことができず、動作ものろまな巨人。

これまでと同じようにはいかないけれど、まだ見ぬ巨人の胎動を感じ、著者は新しい生をおくることを決意する。


命も時間、病も死も、万人に平等。

「その中でどのように生きるのか」を真剣に考えてこそ、人間らしいといえるのかもしれない。


(文字数999)

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【800文字読書感想文】

800~1000文字を目安に感想文を書く練習をしています。

文章の書き方について、アドバイスなどがありましたらぜひご教示ください。

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多田先生のことをはじめに知ったのは、南伸坊さんとの対話からなる『免疫学個人授業』(新潮新書)だったと思います。

『免疫学個人授業』を読んだときには、まだ多田先生が大変な病気をされたことを知らず、その人柄と知性に「素敵な先生がいたものだな」くらいにしか感じていなかったのです。

ところが、『寡黙なる巨人』では病気とともに生きる辛さや苦しみが大変詳しく記録されていて、なんというか胸が詰まりました。

「昨日までは普通だった」とか、「肩書なんて関係なくなる」とか…(まぁ私にはろくな肩書ないですけど)いつ誰の身に起きてもおかしくないことなんだと。

初めは読んでいてつらいのですが、リハビリや新しい生活を通して「当たり前に生きるということの喜び」を感じられるようになった先生の思いを読むと、「自分も一生懸命生きなきゃな」という気持ちがわいてきます。ありきたりですが。


多田先生は美術や芸能にも造詣が深く、とくにに関しては新作能をつくるほどの方でした。

その方面に関連した話も多いので、美術・日本芸能に詳しい方であれば、尚更”はっ”とさせられる記述もあるでしょう。


2001年春に倒れられた多田先生は、2010年に旅立たれました。

あちらの世界でも、先生は己の中の巨人と日々を送っているのでしょうか。


AOSHISHI BUNKO

新潟で活動している青鹿文庫(あおししぶんこ)です。 一箱古本市などブックイベントへの参加、科学書を中心とした読書の記録などをしています。

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